自己紹介

「アスレティックトレーナーズルーム BASE」代表の須川 雄介(すかわ ゆうすけ)です。
このブログでは、スポーツ現場で選手のコンディションを総合的にサポートする”アスレティックトレーナー”が、アスリートや運動愛好家、またそのご家族や指導者の方々に役立つ情報を発信していきます!

第1回の今回は、まず私、「須川雄介とは何者?」について改めてご紹介してみようと思います!

目次

プロフィール

須川 雄介 (すかわ ゆうすけ)    
H4.3月16日生 岩手県滝沢村(現滝沢市)出身
滝沢村立滝沢小学校➔盛岡市立黒石野中学校➔岩手県立盛岡第一高校
➔早稲田大学スポーツ科学部➔東京メディカルスポーツ専門学校

◆資格
はり師 きゅう師
日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー  (JSPO-AT)
日本赤十字救急法救急員

~中学時代

小学校4年生から高校3年生まで、ずっと野球をやっていました!
竹の子スポーツ少年団→上田バンビーズ→黒石野中学校野球部・盛岡北リトルシニア
ポジションはだいたいピッチャー(ノーコンですぐクビになる)
          キャッチャー(とりあえず的がでかい、肩はそこそこ)
          ファースト(同上)
          レフト(絶望的な鈍足だが肩はそこそこ)
という助っ人外国人みたいな感じ(笑)
そして中学2年の冬、「左膝離断性骨軟骨炎」というケガを発症します。
簡単にいうと、繰り返しの負担によって膝の軟骨が壊死して剥がれ落ちてしまう症状です。今思えば体重のわりに筋力が無く、さらに柔軟性も絶望的だったのでいつかケガをするのは当然の帰結ではあったのですが…
 地元の整形外科に行った時は、手術して1年位リハビリをしないとスポーツは難しいと言われ、そんな漫画みたいな話が本当にあるんだと絶望したのを覚えています。しかしその後、所属していたシニアの監督さんの伝手で神奈川にあるスポーツ整形外科にセカンドオピニオンを受け、何とか高校最後までプレーすることが出来ました。
 この経験をきっかけに「ケガや不調で苦しむアスリートを支えたい」と思い、”アスレティックトレーナー”を目指すわけです。

高校時代

 高校は 岩手県立盛岡第一高校 に進学して、当然のように硬式野球部に入部。
チームでは 菊池 達朗(現 久慈高校監督)が注目されましたがチームメイトに恵まれ、2年夏 県ベスト4 3年夏 県準優勝という結果を残すことが出来ました!


 一方で選手としてはここで区切りをつけることになります。
理由としては
同世代に菊池雄星(現 ブルージェイズ)がいて、花巻東高校が選抜準優勝・甲子園ベスト4。シニア時代の同期もレギュラーとして活躍していて、上のレベルでやっていくのはこういう人たちなんだな…と思ってしまったから。
2年・3年で夏の大会にレギュラーとして出してもらったが、2年連続で決定的なエラーをしてイップスになったから
ケガが多く自分の体力やスキルがあまり伸ばせなかったから

といった感じでした。今思えば、「勉強しながら大学までやってみても面白かったかな…」とも思いますが、中学時代にケガで苦しんだ割には大した自己管理も出来ていなかったので大成はしなかったでしょう(笑)

大学~専門学校時代

高校時代の不勉強がたたり、1年の浪人生活を経て 早稲田大学スポーツ科学部 に入学。大学では最初からトレーナーの勉強に集中すると決めていたので、
1年生の時に硬式野球部、2年~4年の時に準硬式野球部で学生トレーナーをやりました。

この時ももったいない時間の過ごし方をしてしまったなと思います。周りにはアスリートとしても、トレーナーとしても、教員としてもトップレベルの方々が沢山いらっしゃった訳ですが、何となく授業で習ったことや今までのやり方をマネするだけで「自分の学びを深めて落とし込む」という事が出来る最高の環境を全く活かしきれていませんでした。(現に同じ環境で学んで、現在第一線でトレーナーや研究者として活躍されている方が沢山いらっしゃいます)
 結果、4年生になって今後の事を考え始めた時に「自分はトレーナーとして出来る事が何もないんじゃないか?」という事態になってしまったわけです。

この時改めて自分の進む方向性を考え直しました。
「ケガや不調で苦しむアスリートの力になりたい」という根本は変わらなかったので、そのためには痛みや不調を取り除く治療の知識や技術を身に着けたいと思い
東京メディカル・スポーツ専門学校 に入学し、鍼灸師の資格を取りました。


 この学校では、アスレティックトレーナー学科があるようにスポーツとの繋がりが強く、先生方も実際にスポーツ現場で活動している方が多くいらっしゃいました。
そこで大学時代の反省を踏まえて、勉強もがっつりやりましたしプロ野球のキャンプ実習などにも行かせてもらいました。こうしてスポーツ科学や身体の事を学ぶにつれ、

「この知識やサポートが自分の選手時代にあったらもっと良い競技生活を送れたのではないか?」

と考えるようになります。

鍼灸整骨院勤務 から 現在

 資格を取った後は、東京にある鍼灸整骨院グループに入社します。
ここでは鍼灸整骨院に勤めながら、休日に高校の野球部や陸上部・アミューズメントパークのパフォーマーなどのトレーナー現場に行かせてもらいました。当然ですが報酬を貰う以上学生トレーナーの時とは全く違った緊張感と責任感があり、「仕事としてトレーナーをする」というのはこういう事なんだなと実感するとても貴重な経験でした。
 
 その後4年勤め院長まで経験しましたが、経験を積むうちに

「自分が育った地元・岩手県にスポーツ科学の知識やトレーナーとしての経験を還元したい」

と考えるようになり、今回「アスレティックトレーナーズルーム BASE」を開業するに至ります。

というわけでだいぶ自分語りが長くなってしましましたが(笑)、自分のこれまでについてご紹介してみました。自分の競技人生・学生生活の中でも様々な失敗や後悔があります。これを読んでくださっている方、特に学生・これから学ぼうとしている方がこういった失敗や後悔をしなくて済むように情報を発信していきたいと考えています。今後ともよろしくお願いします!

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この記事を書いた人

岩手県出身/
「トップアスリートの当たり前」を「みんなの当たり前」に
スポーツ科学を基に、ケガ予防・コンディション作りのための知識からエクササイズまで発信します❗

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